私は何者なのか?何者かになりたかったのか?

私は何者なのか?何者かになりたかったのか?

私は何者だ?

と悩んだ時もありました。

今は、

私はライフコーチです。

「もっと自分らしく!」を願う50代女性のセカンドキャリア&ライフの実現をサポートしています。

自分ハッピーを大切に、主体的に生きる大人を増やすことをめざしています。

って、自分のことを言っています。

そんな私でも

一体私は何者なんだろうと悩んだ時期があったのです。

私は何者か・・・?肩書きを外したらどうなるか怖かった

私は何者だろう?

それを考えて怖くなった時がありました。

まだ、教員だった頃。

教員のうちはいいけど、教員という肩書きがなくなったら

私は自分を何者と言い表したらいいんだろう?

と不安を感じたのです。

初めて会う方でも、

「私は小学校の教員です。」

「私の肩書きは、小学校の教頭です。」

といえば、他に何の説明がいらなかったから

「私が何者か」なんて考える必要がなかったんです。

でも、教員を辞めた後を考えた時、

私には何もないじゃないかって愕然としたのです。

贅沢な悩みって言えば悩みかもしれないけど、

30年も真面目に勤めて

勤めているうちは肩書きが私を表現してくれるけど、

その仕事がなくなった途端に、

私は何にもない、のっぺらぼうになっちゃうのかって

ゾゾ〜って背筋が凍る思いでした。

私は何者か?何者になりたいのかを徹底的に考えた

私は学校を辞めたら、何者になるのだろう?

そのことを、退職を機にいろいろ考えました。

実は、肩書きの候補もたくさん作ったんです(笑)

退職後にやることは

何も決まっていなかったのですが、

学校の外から教育に関わりたいと思っていたので

そんな感じの肩書きを作った名刺やプロフィールを

たくさん作りました。

が、それは全くうまくいかず・・・涙

じゃあ何ができるのか、何をしたらいいのか?

次にしたことは、

私が学んだことについて勉強会や体験講座を開催することでした。

○○インストラクターとかファシリテーターとか

講座で認定資格をとって、それが肩書きになりました。

スラッシャーといって、

肩書きの後ろに/をつけて複数の肩書きを作り、

パラレルキャリアを名乗っていました。

だけど、やっぱり肩書きに振り回されていたと感じます。

私は何者なのか、、と考えるプロセスは、

自分の仕事を作るプロセスにもなっていったんです。

私が何者か、私がわからなければ人には伝えられない

私は何者か、次にぶつかった壁が「プロフィール」でした。

SNSやブログのプロフィールを書くときに、

何をしている人かをうまく言語化できずに悩みました。

発信はマメにしていたものの、

趣味のことや体験したことなど

プライベートなことばかりだったので、

「みこりんが何をやっている人だかわからない」

とよく言われていました。

こんなに、一生懸命仕事を作るために頑張っているのに、

それがちっとも人に伝わらない、

って焦りました。

何をしているのかが伝わらなければ、

発信のねらいもボケてしまいます。

一体私は何ができる人なのか?

どんな価値を誰に提供できる人なのか?

プロフィールの専門家の友人が、

「自分がやっていることが明確じゃないと、人に伝わるプロフィールは作れない」

というのを聞いて、

「私は何者なのか」を私が言語化できることの

大事さを実感しました。

とは言え、自分掘り、客観視は1人でやるのは大変なので、

誰かに手伝ってもらうことも必要ですね。

私は、メンターやコーチの力を借りて

少しずつ自分のことを言語化できるようになっていきました。

自分についての言語化ができると

「私は何者なのか」という悩みはだんだんと薄れていきました。

私は何者でもない、何者かこだわらなくてもいい

私は何者なのかをこだわっていた期間は

次のステージに向かう曲がりくねった道を歩いていた時。

最近は、それにこだわらなくなりました。

肩書きも、ライフコーチ、時々元教頭を入れます。

講座をやるときは講師だし、

ブログを書くときはブロガーだし、

教えるときはコンサルだけど、

それも全部ひっくるめて

自分の人生をもっと自由にハッピーに生きるお手伝いをする

ライフコーチのお仕事と捉えています(2023年現在)。

もしかしたら、また変わるかもしれないけど、

それは活動の内容が変わるだけ、

私が何者かはもうどうでもいいやって思っています。

なぜなら、私は私だから。

肩書きよりも何を大事に思っていて

どういう生き方をしていきたい

ということがわかっていることの方が

重要じゃないかなあって思うようになったから。

肩書きのない私には存在価値がないという思い込みからは

どうやら放たれることができたみたいです。

肩書きはあるけど私は私。

それで満足です。

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