多くの人が、定年前に感じる不安、
その一つが「肩書きがなくなったら・・・」というものです。
それまで肩書きにこだわってきた人はもちろんですが、
そこまでこだわっていなくても失うことに直面すると
不安が湧き上がってくるのはよくあることです。
私もその恐怖に直面し、第二の人生へ至る決断をしました。
定年を迎えて肩書を失うことをどう捉えるのかで
第二の人生のスタートが変わります。
今、自分の肩書きがなくなることに
多少の不安を抱えている方のヒントにしていただきたく
私の経験も交えてその不安の正体や向き合い方について書いていきます。

肩書きがなくなる恐怖の本質は自己価値の崩壊
肩書きがなくなることに不安や恐怖を感じていますか?
私もそうでしたが、仕事を中心に毎日を過ごしていると
仕事やその肩書き、役割が、自分を語る言葉となっています。
仕事の中で、自分の価値を見出し、発揮し
それによっての承認、評価が積み重なると
自分の価値と仕事上の肩書き・役割が同一化してしまうのです。
だから肩書きがなくなることは、
自分の価値がなくなることのように感じられます。
今まで価値として拠り所にしていたものがなくなったら、
自分はどうやって生きていけばいいのだろうか?
それこそが、不安の本質です。
私の場合は、学校の先生、教頭先生、というのが
仕事上の肩書きでした。
1日の時間のほとんどが学校での生活だったので、
周りにいる人たちには先生として認識されていました。
知らない人への自己紹介でも小学校の教頭です、と言うだけで
私を知ってもらえた、と思えていました。
だからこそ、定年によって「先生」「教頭先生」の肩書きが外れると
私は「誰」です、と言えるものがないことにとても不安を感じました。
まさに、
価値のない私は、定年後生きていくにはどうしたらいいのか?
の沼にどっぷり浸かってしまったんです。

なぜ肩書きがなくなると喪失感が起きるのか?
肩書きがなくなることに不安を覚えるのは、
それまで、
その肩書きで生きることに一生懸命だったからです。
それは、肩書きにこだわるかどうかは関係ありません。
今まで、そんなの気にしていなかったのに、
急に不安になっちゃう人もいるんです。
だからそのことを恥ずかしがったり、
ダメなことだと自分を責めたりしないでくださいね。
肩書きがなくなることに喪失感が起きる理由を
2つ説明します。
肩書きは「私の価値」のラベルだから
先ほど、「肩書きと自己価値の同一化」ということを書きました。
つまり、肩書きって、自分が誰かを説明するラベルでもあるんです。
その肩書きを語ることで「私が誰か」を説明することができます。
このラベルは誰かを証明するものでもあり
信頼の証にもなります。
肩書きがなくなったら、
私は「誰」と言ったらいいのだろうか?
何もない私、を名乗ることを想像すると
喪失感が一層強く感じられることでしょう。
社会や他者とのつながりがなくなるから
仕事人生だった人にはよく見られることとして
仕事上のつながりが
その人の人間関係や社会の多くを構成している場合、
肩書きがなくなることでそのつながりも切れてしまうことがあります。
同僚や上司、部下はいるけど、友達はいない。
仕事は好きだけど趣味はない。
こういう場合、この不安は切実です。
少し前に「終わった人」という言葉が世間をざわつかせたことがありました。
これは、内館牧子さんの小説「終わった人」がきっかけで
世に広まったのですが、
第一線で活躍する時期を過ぎた人や、社会的・職業的地位を
失ってしまった人を指す言葉として使われました。
肩書を失うことで
社会との接点をも失ってしまうということも
肩書きがなくなる喪失感の大きな要因といえます。
以上、2つの喪失の理由をあげました。
肩書きがなくなることを不安に思うのも
無理はないということです。
でも、そのことを別の機会と捉えることで、
第二の人生へのきっかけともなりえます。
次は、そのことについて書いていきます。

肩書きがなくなることは喪失ではなくて新たなスタート
肩書きがなくなることを新たなスタートのきっかけとして
捉えることも可能です。
肩書きというラベルがなくなったということは
違うラベルを貼れるし、ノーラベルとして生きることも
できるということ。
つまり、自分で自分をどう表現するかを選択する自由が
手に入ったということなんです。
人から与えられた肩書きでなく
自分はこういう人なんだ、あるいはこうなりたいんだ、
というのを自分で勝手に肩書きとして名乗れるのですよ。
仕事上のつながりがなくなるのは確かに痛いですが、
仕事がなくても繋がれる仲間や
仕事とは関係なく自分が楽しめる社会、場所を
自分で見つけて作っていくことができるのです。
残りの人生は、そういうつながりや社会が欲しくないですか?
肩書きがなくなることを、
自分の人生のひとつの転機として前向きに捉え、
新たなスタートのきっかけにしてはどうでしょうか。

肩書きがなくても生き生きしている人の特徴は?
肩書きがなくても実際に生き生きと過ごしている人は
周りにいませんか?
最近はメディアでも、いわゆるシニア世代でも
活躍している人を取り上げることが増えましたね。
自分のペースで仕事をしている人、
ボランティア活動に従事している人、
好きなことを楽しんで人と繋がっている人などなど。
私も、地域活動デビューを果たして、
そういう人とたくさん出会いました。
自称なんとかおばさんとか、◯◯の達人とかね。
仕事を外れても地域の中では通じる肩書を持ってる人もいます。
こういう方々に共通している特徴は
✅自分が好きなことをしている
✅自分で自分の管理(健康、時間、危機など)ができている
✅人との交流を嫌がらない
✅生活にある程度の余裕がある
✅自責志向(依存しない)
✅柔軟な考え方ができる
ということです。
いかがですか?
自分に当てはまる特徴、いくつありますか?
肩書なし人生をも生き生きと過ごすあり方として
参考にしてみてくださいね。

肩書を手放して「私」で生きると決断した理由
最後に、私が自分の肩書きを手放した理由を書いておきます。
私は小学校の先生を約30年間勤めてきました。
最後は教頭先生にもなり、校長試験の受験も打診されていました。
そのままいけば、校長という肩書きをも手に入れるところにいたのですが、
その前に学校の先生を辞めるという決断をしました。
54歳の時でした。
その2年くらい前から、私はその後の人生に疑問を持つようになったんです。
このままいったらどうなるかはある程度見通しはついていました。
でも、その後、まさに定年退職したらどうなるんだろうと思うと、
「先生」という「肩書き」がなくなった私には何も残らない、という
恐怖に襲われたんです。
はい、「肩書きと自己価値の同一化」、それは私のことでもありました。
先生という仕事は好きだったので、そのまま行く道もありました。
だけど、「新たな生き方を選びたい」、という気持ちも湧き上がってきたんです。
「挑戦するなら、早いうちがいいんじゃないか」、って気持ちもありました。
学校教育の限界も感じていたし、
元気な大人が増えることは子どもたちの未来にプラスになるとも思ったし、
それで、「えいやっ」て退職を決めちゃったのです。
ほんと、向こうみずな選択をしたと思います。
今だったら、もっと違うやり方をします!けど
その時はわからなかったからね・・・涙
でも、肩書きを手放して新たな人生を手に入れたことは
後悔はしていません。

肩書きがなくなることをどう捉えるかはあなた次第
肩書きがなくなることを不安に思うのは当たり前、
それまでの仕事にやりがいを持ち活躍してきた人も
そうでなかった人も、
自分を表すラベルが外れるのは怖いものです。
そう入っても、肩書きは「ラベル」であり、
あなた本来の価値は肩書きがなくなったとしても
ちゃんと存在しています。
だから、期が来てなくなるのを待つのもあり、
自分から手放す決断をするのもありです。
その答えはあなたの中にしかありません。
不安を感じたら、その理由を自分の中に見つけてみましょう。
そして、自分はどうしたいのか?どう生きたいのか?
その後の仕事や人生を考えるきっかけにすると
いいと思います。
お読みくださり、ありがとうございました。